半島

忘れたくないけど言えない話

女性でいること

女性でい続けなければならない、という強迫観念を感じたのは久しぶりのことだった。ずっと感じていたけれど、気づかないふりをしていて、とうとう無視できなくなったのがこの前の金曜日の夜。

 

職場の飲み会はあまり参加しない方なのだけど、この日は新しい事業部でのキックオフということで、欠席する理由もなければ度胸もなかった。

 

重役に挨拶しに行くタイミングを計算して教えてくれる年上の同僚、「部長はセクハラがひどいから僕が間に入ります」と気遣ってくれる社員、ハートとスペードで歌詞がわけられるデュエットを上司と歌うこと、お鍋をとりわける手際の良さとか。

どうしても全部を気にしてしまう。性格の問題なんだろうか。

 

女性であるから比べられるのかなと感じることは多い。

職場は男女比が9:1で女は少数派。

女性であるからひとくくりにされる。わたしやわたしの同僚が女性であるからという理由だけで、リーダーは上司に「○○さんは休日でたりしないよね?」と言われる。

新卒の男性は咎められることなし。

 

清潔であるだけではダメで、綺麗にしていないと人扱いされない。

すっぴんに近くても格好がダサくても新卒は「若さ」を言い訳にできる。年齢的には第二新卒で、同僚は社会人経験年数が私の3倍あるけれど、わたしのなけなしの若さは無視され、比べられる。

 

女を捨てきれないからそんなことを気にしているんだろうか?と思うこともある。でも全く理由がわからない。なぜひとくくりにされるのか。なぜ変な気の遣い方をされるのか。

 

飲み会で、定型文のようなセクハラを初めて目の当たりにして、女性であるから、という理由で何か言われたりすることに敏感なのは、思春期の3年間を女だけの空間で過ごしたからかもしれない、ということに気がついた。

その3年間は、右見ても左見ても女性しかいなかったし、お互いに評価を下すのも女性だけだった。男性の目を気にして何かをしなければいけないとか、女性だからこう、ということを言われるような場面は殆ど起こり得なかった。

だから「女性を演じること」が必要なかった。もちろん人として最低限のマナーをわきまえなければ干されたが、だいたいはそこにいるだけで何か強いられたり期待されたり、攻撃されることはなかった。

 

もし共学だったら、「女性であること」をもっと意識する場面があったのかもしれないなあと、3月14日前後に、バレンタインのお返しと言ってお菓子やハンドクリームをくれる男性社員を見ていて思った。